野村城
城主は宮部吉祥坊というもので、剣術の達人であった。天正の頃 羽柴秀吉に従がって軍功があり、また三木合戦の時にも武功をあらわし、英賀戦争にも功が多く、且つ天正9年7月 秀吉の因州鳥取を攻めた時には、一方の旗頭として従い功があった。 播州古城蹟集録には 野村城、野村 本丸 東西19間 南北13間 二ノ丸 東西20間 南北13間 三ノ丸 東西18間 南北13間 城主不知 別所長治幕下と記録されている。